自由には責任が伴う

2016/12/25

火おこしは年長のキノコさんたちの仕事

去年のキノコさんたちが自分たちがやるって決めた

そして、今年のきのこさんたちも去年の年長さんたちを見ていて

かっこいいって思って、やっぱり自分たちがやるって決めた

 

火おこしは難しい

やっとついたと思ってもそこでうまく薪をくべないと火は消えてしまう

顔を真っ赤にしながら

一生懸命火おこししている彼らといつもいろんな話をする

received_1726289781022899

 

Cくんに聞いてみた

「のっぱらの大人とおうちのお母さんたちって違う?」

 

「うん、違うよ。のっぱらとうちが違うなあって思ったから、

のっぱらと同じようにしてるんだ。

今はお母さんに自分が思ってることを言えるようになった」

 

「のっぱらとおうちが違うからどうしてのっぱらと同じにしようと思ったの?」

 

「違うとごちゃごちゃになっちゃう」

 

「のっぱらよりおうちの方がいいんじゃない?

おうちだったら答えを教えてくれるし、色々やってもらえるし」

 

「ううん、自分の事は自分でしたい

お母さんは前はそれが分からなかったから変えたいと思った

全部はまだできないけどお母さんに言うようにした

自分も変わったしお母さんも変わった

今はお母さん分かってくれるようになったよ」

 

 

もう1つ聞いてみた

「のっぱらとおうち、どっちが厳しい?」

 

「のっぱら」

他の年長さんたちも声をそろえて言う

 

そうか、そうだよね

かなりのっぱらは厳しいと思うよ

やっぱり感じていたのね

 

「厳しいのと厳しくないのとどっちがいい?」

 

「厳しい方に決まってるじゃん!!」

当たり前のことをなんで聞くの?

って顔をして年長さんたちが声をそろえた

 

「えっ?

えっ?

なんで?」

 

「だって、自分が分かるから。」

 

「それって自分が何か間違ってたりすることに気付くってこと?」

 

「そう

絶対に厳しい方が自分のためになるんだよ」

 

のっぱらは自由だ

自分の事を自分で決める自由がある

しかし、のっぱらの自由には責任が伴う

子どもだけれど私たちは子どもたちを尊敬し信頼しているから

自由を渡し、その責任を負わす

ここがのっぱらの厳しさだと思っている

 

 

責任を負うから

自分がやることがやったことが

いいことなのか悪いことなのか考えられる

これから自分はどうすれば良いのか答えを出せる

 

大人がなんでもやってあげれば

大人が答えを言ってあげれば

責任がなければ

子どもは楽なのかもしれない

 

だけど、

やってあげたら

自分でやる大変さを知る機会やできた喜びを奪ってしまう

 

答えを言ってあげたら

子どもたちは自分で考えるってことをしなくなってしまう

自分で自分のことを気づくことがなくなってしまう

 

 

どちらが幸せなのだろう?

 

 

子どもたちは自ら答えを出した

 

自分でやること

考える事

つまり責任があることがいかに厳しいのか大変なのか知っていた

でも、それが本当に自分たちがより良くなるためで

本当に自分のためで

幸せだって

全部分かってた

 

だから自分の事は自分でやりたい

自分でやったことの結果を自分が受け止めたいのだ!

 

子どもって本当に自分のことを

だれよりも真剣に考えている

 

やっぱり子どもたちを尊敬せずにはいられない